阿蘇神社について

阿蘇神社は、神武天皇の孫神で阿蘇を開拓した健磐龍命たけいわたつのみことをはじめ家族神12神を祀り、2000年以上の歴史を有する古社です。古来、阿蘇山火口をご神体とする火山信仰と融合し、肥後国一の宮として崇敬をあつめてきました。

宮司職を世襲する阿蘇氏は、我が国でも有数の旧家として知られています。中世には武士化して肥後国を代表する豪族に成長しました。500社に及ぶ分社があるのは、こうした歴史背景に理由があると考えられています。

阿蘇神社の社殿群は、天保6年(1835)から嘉永3年(1850)にかけて、熊本藩の寄進によって再建されたもので、神殿や楼門などの6棟が国重要文化財に指定されています。中でも楼門は九州最大の規模を誇り、「日本三大楼門」の一つともいわれます。平成28年熊本地震により重文の楼門や拝殿が倒壊するなど社殿のほとんどが甚大な被害を受けましたが、令和5年12月に復旧工事が完了しています。

住所 〒869-2612 熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-1
電話 0967-22-0064
FAX 0967-22-3463
休日 無休
参拝時間 6:00~18:00/御札所 9:00~17:00
駐車場 バス4台 普通車115台(普通車は30分まで無料、以後は有料) 隣接して市営駐車場70台(有料)
公共交通 JR豊肥線宮地駅下車 徒歩15分 バス「阿蘇神社前」下車
お車 九州自動車道 熊本インターより国道57号を経由して阿蘇方面へ約60分

阿蘇山上神社

阿蘇山頂の火口湯溜まりは、古より「神池」とよばれ、阿蘇神のご神体とされてきました。山上神社は火口を遥拝する拝殿のみが佇みます。歴史的に麓の阿蘇神社「下宮」対して「上宮」とよばれてきました。古代の阿蘇火口は国家祈祷の対象となり、その変異は太宰府を通じて都の朝廷に報告され、阿蘇神の評価を高めました。現在は、6月上旬に活動の平穏を願って御幣を納める「火口鎮祭」がおこなわれています。

山上神社の社殿は、旧内務省神社局技師として活躍した角南隆の設計によって、昭和33年に木造社殿建築を鉄筋コンクリート造で再建したものです。

例大祭 6月上旬
御札所はありません
お問い合わせ 阿蘇神社まで

阿蘇神社の社殿群について

国重要文化財6棟(平成19年指定)

  1. 一の神殿 天保11年(1840)
    五間社入母屋造
  2. 二の神殿 天保13年(1842)
    五間社入母屋造
  3. 三の神殿 天保14年(1843)
    三間社流造
  4. 楼門 嘉永3年(1850)
    三間一戸二重門
  5. 神幸門みゆきもん 嘉永2年(1849)
    四脚門
  6. 還御門かんぎょもん 嘉永2年(1849)
    四脚門

 

境内には神殿3棟と諸門3棟が東面して建ち、左右対称の景観が構成されています。南北にのびる横参道の中央に聳える楼門は、高さ約18メートル、二重門として九州最大の規模を誇ります。両脇には四脚門形式の神幸門と還御門が構えます。その奥には、桁行・高さともに12メートル超える五間社入母屋造の一の神殿と二の神殿、三間社流造の三の神殿とが近接して立ち並びます。

これら6棟は総欅造で、屋根は当初柿葺であったものが現在は銅板葺に変更されています。軸部や組物には波頭紋はとうもん雲紋うんもんの華やかな彫刻が施され、構法ともに江戸末期の建築的特色をよく現わしています。

一連の造営経緯は、棟札や建物に残る墨書をはじめ、阿蘇神社文書や(財)永青文庫の藩政史料によって明らかで、神社景観の歴史的変遷や近代以降の修理過程もたどることができます。

大工棟梁の水民元吉(1815~1887)は、若くして優れた図面を引き、22歳で阿蘇宮造営の棟梁に抜擢され、のちに藩御用大工に召し抱えられた人物です。