国重要文化財6棟(平成19年指定)
- 一の神殿 天保11年(1840)
五間社入母屋造 - 二の神殿 天保13年(1842)
五間社入母屋造 - 三の神殿 天保14年(1843)
三間社流造 - 楼門 嘉永3年(1850)
三間一戸二重門 - 神幸門 嘉永2年(1849)
四脚門 - 還御門 嘉永2年(1849)
四脚門
境内には神殿3棟と諸門3棟が東面して建ち、左右対称の景観が構成されます。南北にのびる横参道中央に聳える楼門は、高さ約18メートル、二重門として九州最大の規模を誇ります。両脇には四脚門形式の神幸門と還御門が構えます。奥には、桁行・高さともに12メートル超える五間社入母屋造の一の神殿と二の神殿、三間社流造の三の神殿とが近接して立ち並びます。
これら6棟は総欅造で、屋根は当初柿葺であったものが現在は銅板葺に変更されています。軸部や組物には波頭紋や雲紋の華やかな彫刻が施され、構法ともに江戸末期の建築的特色をよく現わしています。
一連の造営経緯は、棟札や建物に残る墨書をはじめ、阿蘇神社文書や(財)永青文庫の藩政史料によって明らかで、神社景観の歴史的変遷や近代以降の修理過程もたどることができます。
大工棟梁の水民元吉(1815~1887)は、若くして優れた図面を引き、22歳で阿蘇宮造営の棟梁に抜擢され、のちに藩御用大工に召し抱えられた人物です。